KJK

占い師に物申す

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どうもお久しぶりです。
営業二部の福井です。

先日、「今メランコリーかつアナーキーな精神状態やわ」 と
訳の分からないことを家族に言ってしまうぐらいの妙なテンションになっていた私は、
友人から「当たる」と紹介された占いサイトを見ながらこの世の不条理に嘆いておりました。

ここで吐き出すのもどうかと思うのですが、
東京ドーム3個分の心の広さを持つ皆様でしたらお許しいただけるものと信じ、書かせていただきます。

●今日の占いランキング 水瓶座 3位
●ラッキーアイテム 『クジャクの羽』

入手難易度、高くないですか。

クジャクの羽を日常的に手に入れられる人って飼育員とか、
プリンセス天功とか、すごい鳥好きぐらいのものではございませんか。
この占い師様は大体の家にクジャクがいる
一家に一台スタイルの
炊飯器みたいな存在だと思っているのでしょうか。

その時の私の精神状態では、
「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」と言ったとか、言ってないとかの
マリーアントワネットさんの名言さながらに、

「羽がないならクジャクを飼えばいいじゃない」
という暴論にしか聞こえなかったわけでございます。

ネットという不特定多数の人間が
(それこそクジャクを飼うことができない私のような貧民層の人々も含め)
見る場においては、このラッキーアイテムを「犬の毛」とか、むしろ「髪の毛」ぐらいにレベルを落とし、
万人にハッピーを舞い込ませるのが占い師の役目ではございませんでしょうか。

その日は常時髪の毛を鞄に潜ませておく必要性がでてきますが、
誰かにバレても「最近呪われてる」で切り抜けることが十分に可能です。

●ラッキーカラー 『シャトルーズグリーン』

何色やねん。

失礼しました。お国ことばが出てしまいました。
限定しすぎではございませんでしょうか。どこでその色の服が買えるんでしょうか。
セレブレティーの間では「もうちょっとシャトルーズな感じのグリーンが良いのよねー」
みたいな会話が日夜繰り広げられているのでしょうか。

なぜ「緑」にしないのか。なぜ「緑」ではいけないのか。なぜ、幸せの範囲を狭めてしまうのか。
少し話が逸れますが、「ズボン」のことを「パンツ」とか「ボトムス」と言い出す友人が現れ始めた頃の、
言葉にできないあの気持ちも同時に蘇ってきました。

私は今でも、そしてこれからも「ズボン」と言い続けます。Viva la Zubon

●ラッキープレイス 『海辺のカフェ』

いよいよですね。

考えてもみてください。
群馬県とか海に面してない県の人々は、ラッキープレイスに行くためには
一度県を跨がないといけません。
まるで「生まれた場所で全ては決まっている」といわんばかりの。いわんばかりの!
ナチスの選民思想に繋がるようなものが無理をすればギリギリ垣間見られなくもございません。

「海から遠いみずがめ座さんは、今日はラッキーを諦めましょう」
私にはそう聞こえました。

お洒落な雰囲気を出したいのは分かります。「海辺」で「カフェ」ですよ。
そりゃあお洒落ですよ。
村上春樹もそれに近いタイトルの小説を書いておりました。
そりゃあお洒落ですよ。
 

しかしね、なぜ住んでいる場所で幸福までの距離が変わるんだい。
なぜ、あなたが幸せの場所を決めるんだい。
幸せっていうのはそういうもんじゃねえだろう。
人それぞれが、そう感じる時がそう、それが幸せ、ハピネスってもんだろうが。 

「ラッキープレイスは地球、そう、このPlanet Earthそのもの。
なぜなら幸せは一人一人の心の中にあるものだからね。
それに気づけばどこだってラッキープレイスさ」

と言ってくれるような
最高に胡散臭いビッグな占い師の方がいつか現れるのを待っております。

ここまで書きましたが、私は占いがそこそこ好きです。

携帯で相性占いを開き誕生日を入力したところでハッと気が付き
「わしゃ乙女かーい!」と言いながら布団に携帯を投げつけて、
なんともいえない恥ずかしさに枕に顔をうずめたこともございます。
部屋で一人の時です。隣の部屋の人うるさくしてごめんなさい。

今週末はクジャクの羽をむしりに行ってきます。